るーちゃんブログ

24歳OL。ガリ勉の高校時代を経て、第一志望の大学に入学。そのままとんとん拍子で第一志望の企業に就職するもメンタルがやられて人生初めての挫折。キャリア、メンタル、ときどき恋愛の話を書きます。

24歳になっても水恐怖症が治らなかった話

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怖いものってありまか?

 

お化け

高所

閉所

お袋

 

などなど、だれにでもこわいものってあると思う。

私は生まれつき水恐怖症である。

 

物心ついた時から、毎日お風呂で号泣していた思い出がある。

 

特に水が顔にかかることが大嫌いだった。

 

目に水が入るのは誰だって不快だと思う。

 

でも私は普通の人よりも遥かに不快に感じる自信がある。

 

顔を水につけるだけで軽い過呼吸を起こすのだから。


幼稚園のプールはもちろん嫌いだった。


まぁ幼稚園はずっと浮き輪をはめていたので、顔に水がかかることは少なかった。

しかし幼稚園はごまかせるたが、小学校はそうはいかない。

 

喉が痛いだの鼻水が出るだの何回かズル休みはした。

 

でもズル休みにも限界がある。

 

意を決してプールの授業に参加すると


「みんなで10秒顔をつけてみましょう」


地獄である。


首くらいまで水がくると、軽い過呼吸の症状が出る。

 

立派な拷問ではないか?


なんて子供が言えるはずもなく、我慢して10秒耐えていた。

 

 

小学6年になると能力別で4チームに組み分けがされた。

 

私は当然一番できないチームである。

 

一番できないチームだからサボれるかと思いきやその逆である。

 

生徒3人に対して先生1人だから、サボったらバレる。

 

水に顔をつける練習が始まった。

 

過呼吸が起きるからやりたくないなんて言えなかった。

 

なんとか耐えて水泳の授業の最終日となった。

 

もうプールなんて一生入らないぞと心に決めていた。

 

しかし世の中はそう甘くない。

「25m泳げない人は夏休みにプールの補修をします」

今思うと熱心な先生だが、当時の私にとっては大迷惑である。

 

そうして地獄の夏休みが始まった。

 

補修の最終日、私は15mも泳げるようになった。

 

けのびさえできなかったのだから、大きな成長と言える。

 

どうしても息継ぎを習得できなかった。

 

水が怖いのに、体に力を入れずに息継ぎなんて無理である。

 

けのびができただけでも褒めてほしい。

 

息継ぎをしないで泳げる最長が15mだったのだ。

 

そんだけやったから、恐怖症も治ったのでは?

 

と思ったが、治らなかった。

 

補修最終日まで、過呼吸は起きた。

 

生まれつき怖いと思っているものはいくら努力しても怖いのだ。

 

それがわかっただけでも大きな収穫だった。

中高の体育はプールがほとんどなかったため、しばらくプールとは疎遠になっていた。

 

自分が水恐怖症ということも忘れかけていた。

 

 

大学生になり、沖縄に旅行に行くことになった。

 

シュノーケリングがやりたい!」

 

と友達に言われ、なんのことかわからないがやろう!と答えた。

 

数時間後、私たちは海に放り出された。

 

魚を愛でている場合ではない。

 

私はパニックだった。

 

が、せっかくの旅行が台無しになると思い、普通を装った。

 

友達が魚を愛でている横で私は無心になった。

 

 

結局私は大人になっても水恐怖症が治らなかったのだ。

 

いまだに毎日の顔洗いも必死の思いだ。

 

だれにだって苦手なことはある。

 

それを乗り越えるために努力することが大切なのもわかる。

 

でも乗り越えられないこともある。

 

特に生まれつき無理なこともある。

 

遺伝子は選べないのだから。

 

苦手なことも個性のうちだと受け入れる。

 

大人になった今はそう思える。

 

頑張りすぎてつぶれないように。

 

戻れるなら小学生に自分に伝えてあげたい。

 

がんばることは美徳だが、がんばらなくていいこともある。

 

自分の子供ができたらそう教えてあげたい。