るーちゃんブログ

24歳OL。ガリ勉の高校時代を経て、第一志望の大学に入学。そのままとんとん拍子で第一志望の企業に就職するもメンタルがやられて人生初めての挫折。キャリア、メンタル、ときどき恋愛の話を書きます。

なんとなく生きてきた24年間

適応障害になってから

自分の生き方について考えることが増えた。

 

 

実は今まであまり深く考えたことがなかった。

 

 

わたしの人生は比較的、順風満帆だったからだ。

 

普通に幼稚園に行って、小学校に行って

受験をして中学高校に行って

受験をして大学に行って

就活をして会社に勤めた。

 

ごくごく普通の人生だ。

 

 

もちろん幼稚園に行きたくないと泣き喚いた時期もあった。

 

小学校の時の塾が嫌で逃げ出したこともあった。

 

高校でガリ勉になって、友達が少ないとこもあった。

 

就活で自分のコミュ障に凹んだこともあった。

 

 

多少の山や谷はあるものの、至って普通である。

 

ありがたいことに両親がいて、毎日衣食住に困らず、学費も出してもらった。

 

普通にかなり恵まれている。

 

 

世界の人口が100人だったら

大学に行ける人って数人なんだよ〜

 

みたいな話も聞いたことある。

 

 

恵まれているからこそ

なんとなく生きてきてしまった。

 

でもそれって大問題だよなって最近気づいた。

 

「何のために生きてるの?」って言われても

わからないんだもん。

 

良い大人なのに。やばくない?笑

 

実際に何のために生きてるの?

って聞かれても答えられる人ってわずかだよね。

 

でもわたしは答えられる人生を歩みたい。

 

ただ休日の趣味の時間のために仕事してるとか、

愛する子供のために生きてるとかじゃなくて。

 

それだとまたなんとなく生きてることになる。

 

 

贅沢かもしれないけど、

 

 

「ぼくはいやだ!」(不協和音)

 

 

ふざけました。ごめんなさい。笑

 

 

自分が役に立ちたい方法で、人の役に立ちたい。

 

その対価で自分の好きなように生きたい。

 

この二つができるようになったら最高だ。

 

歳とったらこんなこと語ってて恥ずかし!

若気の至りじゃんw

 

と思うかもしれない。

 

それでも挑戦しないよりはマシだ。

 

なんとなく生きてきた自分、バイバイ。

 

 

コロナで適応障害になる人って増えた?

世間がコロナと騒ぐのも飽きてきた頃ですが、

いい加減好き勝手したいですよね。

 

会いたい人には会いたいし、旅行もしたい。

 

自粛なんてクソ食らえだ〜!!!

 

 

なんて愚痴を書きたかったのではなく!

 

 

表題の通り、コロナで適応障害になった人増えたんじゃないかなぁと最近思いました。

 

 

だって

 

わたしの知り合いで適応障害になった人

 

2019年度 1人

2020年度 3人 (9/6現在)

 

ですもん!

 

 

友達少ないから母数少ないけど、

9月の時点で去年の3倍ですよ?

 

まぁ打ち明けられてない可能性もあるけど、

2020年に適応障害になった人はみんなコロナが原因です。

 

コロナで会社が赤字で、人を雑に扱うようになったり。

 

逆にコロナ需要で仕事量がめっちゃ増えたり。

 

仕事でめちゃくちゃストレス抱えてるのに

休みの日も息抜きできなかったら病気になるよね。

 

病気になるまで好きなこと我慢する必要なかったのにね。

 

もう遅いよね。

 

ってわたしは後悔することもあります。

 

だって適応障害になると、好きなことする活力も失われちゃうんだ。

 

せっかく時間があっても何もしたくない病にかかってたりする。

 

 

そんなになるまで自粛する必要あったのかな?

そんなになるまで仕事する必要あったのかな?

 

 

絶対にない!

 

今なら言い切れる。

 

 

と思うと同時に

 

真面目に自粛した自分えらい!

真面目に仕事した自分えらい!

 

と褒めてあげましょう。

 

 

真面目にがんばってる人には絶対良いことがある。

 

だって、不真面目に過ごして良いことがあっても

心の底から喜ばないでしょ?

 

どうせ喜ぶなら心の底から喜ぼう。

 

 

でもコロナのせいにできそうなことは

コロナのせいにしちゃおう。

 

少しくらい楽してもバチは当たらないよ。

 

 

コロナで適応障害になるのって当たり前じゃない?

 

だって世界中の誰もが体験したことないんだもん。

 

そりゃストレス祭りでしょ。

 

真面目なあなたは人よりも少し多く

ストレスを抱えてしまったのかも知れない。

 

キャパが少なかったわけじゃないよ。

 

そうだったらコロナ前からダウンしてはずだもん。

 

要領良く生きたいけど、性格だから仕方ないよね。

 

アンラッキーは受け入れるしかない。

 

いつか絶対ラッキーが訪れる。

 

そういうふうにできてるって

法事でお坊さんが言ってた気がするよ。

 

適応障害で人生終わったと思っている人へ

何もかも嫌になることありますよね。

 

生きてる意味ないかなって。

かといって死のうとする体力もないし。

 

 

そういうとき

 

なんのためっにっうーまれてー

なーにをしってっいきるのかー

わからないまーまっおわるー

そーんなのっはっいーやだ!

 

って流れてきません?(わたしだけ?)

 

 

いや〜自分って生きる価値あるのかって

さらに凹む悪循環。

 

特に夜これが流れ出すと最悪。

 

寝られるわけないですよね。

 

それ昨日のわたしです。笑

 

適応障害になって2ヶ月が過ぎようとしていますが、

良くなっている気配なし。

 

これからどうやって生きていけばいいのか

わかりません。

 

仕事復帰したいけど、したらまた症状が出そう。

 

でも転職してもまた症状が出そう。

 

社会人なのに何やってるんだろう。

 

普通の人は毎日働いているのにね。

 

なんでわたしはできないんだろう。

 

人生に希望とかもてないよね。

 

 

 

という鬱々を抱えている人!朗報!

 

今の状態はずっとは続かない!

 

だって今までの人生振り返って

ずっと続いてる嫌なことってある?

 

嫌な友達とは学校が変わったらフェードアウトしたし

嫌な受験も終わったし

嫌な食べ物も食べればなくなるし

 

そんな感じで鬱々も良くなったり悪くなったりを繰り返して、

気づいたら良くなっていく。

 

適応障害になったのは人生の試練の一つなのかもしれない。

 

適応障害になって嫌なこと多い。

 

でもよかったことも実はある。

 

「同じ境遇の人の気持ちがわかるようになった。」

 

これってすごいことだよ。

 

心の病ってメンタルが弱い人がかかる病気だと多くの人が思ってる。

 

違う!って今ならよくわかる。

 

どちらかというと頑張り屋さんがかかる病気。

 

真面目な人がかかる病気。

 

そして、誰しもがかかる可能性のある病気。

 

そんなことを知れただけでも、

人生の大きな財産です。

 

 

なーんていつも考えられればいいんだけど、

そうもいかないのが人生だよね。

 

鬱々になったときは仕方ない。

鬱々になった自分をよしよししてあげよう。

 

だって頑張ろうとしてる人しか鬱々にならないもん。

 

鬱々じゃなくなったときに、また人生について考えよう。

 

絶対そっちの方がいいアイディアが浮かぶはず。

 

 

適応障害で人生は終わらない。

 

人の痛みを知ることができた人は強い。

普通の人はわからないことを身をもって体験したんだもん。

 

10年後くらいに、あのとき適応障害になってよかったと思える日が来る。

 

そんなことを考えて今日もぐーたら生きよう。

 

 

幼稚園に行きたくなかった日の話

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私は幼稚園が嫌いだった。

 

理由はシンプルで

 

家にいた方が楽しい

 

からである。

 

子供のくせにと思うかもしれないが、

家にいた方が楽しいのにわざわざ幼稚園に行く意味がわからなかった。

 

友達は多かったので、幼稚園にいったらいったで楽しいのだが、

やりたくもないこともある。

 

特に朝の歌は面倒だった。

 

歌う気分じゃない時もあるのに、

歌わないといけないなんて面倒すぎる。

 

めんどくさがりでわがままな子供だったのだ。

 

そんな感じで私の幼稚園嫌いは母を困らせた。

 

毎朝一応

「幼稚園に行きたくない」

といってみるものの、却下される。

 

泣き喚いても無視して抱っこされバスに押し込まれる。

 

ある時はバスから脱走したこともあった。

 

ある時は母が逆上して幼稚園の黄色帽子をかぶり

「そんなに行きたくないならママが代わりに行く!」

と言い放ったこともあった。

 

母は泣いて謝罪することを期待していただろう。

 

私は笑顔で

「いってらっしゃい」

と言い放ち、今日は家にいられると喜んだ。

 

これには母も怒るを通り越して、気が抜けていた。

 

そんな感じで私の幼稚園嫌いは1年くらい続いた。

 

 

でもある時、

 

もう抵抗しても幼稚園に行くことには代わりない。

抵抗しても無駄ならやめよう。

 

と悟りを開いたのだ。

 

 

1週間くらいで悟りを開けば母もそこまで苦労しなかっただろうに。

 

めんどくさがりでわがままな上に頑固である。

 

子供としては最悪だ。

 

 

私は歳を取るにつれてどんどん聞き分けの良い子供になった。

 

聞き分けがいい方が大人に褒められるし、

反抗した方がめんどくさいと気づいたからである。

 

高校では常に学年10位以内に入るくらい成績も良かった。

 

親は喜んでいた。

 

それを見て私も嬉しかった。

 

でも大人になった今、

自分を見失っていることに気づいた。

 

大人に言われたことが正しいと信じて従ってきた。

 

幼稚園には毎日行くのが正しい

勉強するのが正しい

 

確かにやって後悔はしていない。

 

でもその過程で大事なものを失ってしまった気がする。

 

自分のやりたいことを押し殺すことがうまくなり、

そのうち自分がなくなってしまった。

 

私がやりたいことはなんだろう?

逆に嫌なことはなんだろう?

 

「幼稚園に行きたくない!」

と泣き叫ぶくらいの意志はどこにいってしまったのだろうか?

 

頑固な自分が懐かしい。

 

人目を気にするあまり、空っぽな大人になってしまった。

 

それは誰のせいでもなく、自分の責任だ。

 

私が本当にやりたいことはなんだろうか?

 

お金がないから、時間がないからと諦めていないだろうか?

 

もう一度、頑固な自分を召喚してみてもいい時かもしれない。

 

24歳になっても水恐怖症が治らなかった話

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怖いものってありまか?

 

お化け

高所

閉所

お袋

 

などなど、だれにでもこわいものってあると思う。

私は生まれつき水恐怖症である。

 

物心ついた時から、毎日お風呂で号泣していた思い出がある。

 

特に水が顔にかかることが大嫌いだった。

 

目に水が入るのは誰だって不快だと思う。

 

でも私は普通の人よりも遥かに不快に感じる自信がある。

 

顔を水につけるだけで軽い過呼吸を起こすのだから。


幼稚園のプールはもちろん嫌いだった。


まぁ幼稚園はずっと浮き輪をはめていたので、顔に水がかかることは少なかった。

しかし幼稚園はごまかせるたが、小学校はそうはいかない。

 

喉が痛いだの鼻水が出るだの何回かズル休みはした。

 

でもズル休みにも限界がある。

 

意を決してプールの授業に参加すると


「みんなで10秒顔をつけてみましょう」


地獄である。


首くらいまで水がくると、軽い過呼吸の症状が出る。

 

立派な拷問ではないか?


なんて子供が言えるはずもなく、我慢して10秒耐えていた。

 

 

小学6年になると能力別で4チームに組み分けがされた。

 

私は当然一番できないチームである。

 

一番できないチームだからサボれるかと思いきやその逆である。

 

生徒3人に対して先生1人だから、サボったらバレる。

 

水に顔をつける練習が始まった。

 

過呼吸が起きるからやりたくないなんて言えなかった。

 

なんとか耐えて水泳の授業の最終日となった。

 

もうプールなんて一生入らないぞと心に決めていた。

 

しかし世の中はそう甘くない。

「25m泳げない人は夏休みにプールの補修をします」

今思うと熱心な先生だが、当時の私にとっては大迷惑である。

 

そうして地獄の夏休みが始まった。

 

補修の最終日、私は15mも泳げるようになった。

 

けのびさえできなかったのだから、大きな成長と言える。

 

どうしても息継ぎを習得できなかった。

 

水が怖いのに、体に力を入れずに息継ぎなんて無理である。

 

けのびができただけでも褒めてほしい。

 

息継ぎをしないで泳げる最長が15mだったのだ。

 

そんだけやったから、恐怖症も治ったのでは?

 

と思ったが、治らなかった。

 

補修最終日まで、過呼吸は起きた。

 

生まれつき怖いと思っているものはいくら努力しても怖いのだ。

 

それがわかっただけでも大きな収穫だった。

中高の体育はプールがほとんどなかったため、しばらくプールとは疎遠になっていた。

 

自分が水恐怖症ということも忘れかけていた。

 

 

大学生になり、沖縄に旅行に行くことになった。

 

シュノーケリングがやりたい!」

 

と友達に言われ、なんのことかわからないがやろう!と答えた。

 

数時間後、私たちは海に放り出された。

 

魚を愛でている場合ではない。

 

私はパニックだった。

 

が、せっかくの旅行が台無しになると思い、普通を装った。

 

友達が魚を愛でている横で私は無心になった。

 

 

結局私は大人になっても水恐怖症が治らなかったのだ。

 

いまだに毎日の顔洗いも必死の思いだ。

 

だれにだって苦手なことはある。

 

それを乗り越えるために努力することが大切なのもわかる。

 

でも乗り越えられないこともある。

 

特に生まれつき無理なこともある。

 

遺伝子は選べないのだから。

 

苦手なことも個性のうちだと受け入れる。

 

大人になった今はそう思える。

 

頑張りすぎてつぶれないように。

 

戻れるなら小学生に自分に伝えてあげたい。

 

がんばることは美徳だが、がんばらなくていいこともある。

 

自分の子供ができたらそう教えてあげたい。

虫パッチって知ってる?

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あなたは「虫パッチ」を知っていますか?

 

子供の頃にアンパンマン柄の虫パッチを貼られてたという人も多いのではないだろうか?

 

なんだそれは??

という人も多いかもしれない。

 

実際に私の友人も知らなかったのが

最近受けた一番の衝撃であった。

 

知らない人は絆創膏の虫刺されバージョンをイメージして欲しい。

 

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https://www.daiichisankyo-hc.co.jp/products/details/ma (引用)

 

 

こんなのです(雑)

 

ステロイド成分を含んでいて、虫刺されに貼るとかゆみを軽減してくれる。

 

ついついカイテシマウのも防いでくれる優れものである。

 

我が家では小さい頃から蚊に刺されたら虫パッチを貼るというのが常識だったのだ。

 

子供の頃は「カイチャダメダヨ」と言われてもカイテシマウので

虫パッチを貼るのが当たり前だと思っていた。

 

大人になったらついついカイテシマウことなんてないから、

貼る必要はないのだろうと。

 

 

かなしいがな、

子供って大人をリスペクトしすぎである。

 

 

いくつになってもカイテシマウのが人間である。

 

今年、24歳の夏も虫パッチに大変お世話になった。

 

カカナイト治りが早いからありがたい。

 

今年、30歳になる姉も虫パッチを両足に張っていた。

 

私よりも年齢が倍以上の母も、今腕の目立つところに虫パッチを貼っている。

 

だが、最近あることに気づいた。

 

我が家を除いて、外で虫パッチを貼っている大人を見たことがない。

 

子供が貼っているのはたまに見かけるが、大人は私の記憶に残る限りではない。

 

肌色なので気付いていない可能性もあるが、

絆創膏と同じくらい目立つので、腕とかに貼っていた際は気付くであろう。

 

もしかして他の大人は虫パッチを貼らないのであろうか?

 

それとも外に出る時は剥がすのがマナーなのであろうか?

 

そう考えると我が家の大人たちも虫パッチを貼ったまま近所のスーパーをうろついている場合ではない。

 

もっと恥じるべきである。

 

お風呂場で虫パッチのゴミが放置されていたことで揉めている場合ではない。

 

家では当たり前のことも外では当たり前でないことって結構多い。

 

家でしか通じない謎の隠語があったり。

おならをする際は宣言してからしないといけなかったり。

トイレで大きい方をする際は宣言してかたしないといけなかったり。

 

最近ふと虫パッチもそれの一つなのかもしれないと思い、不安になった。

 

でも貼らないとカイテシマウので、許されるのであればこれからも貼りっぱなしで外をうろうろしたいと思うのであった。

 

下ネタネギ?

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12月のある日、姉が会社から下仁田ネギを持って帰ってきた。

 

スーパーではよく見かけるが、人がネギを背負っている姿は実に滑稽である。

身内であれば尚更だ。

 

この姿に関連して面白いのは「バナナを食べている姿」である。

 

これら2つの姿は何度見てもニヤニヤしてしまう。

 

その代償として自分がネギを運んでいる時は

(なんでカモネギみたいなことやってるんだろう。情けない。)

 

と沈んだ気持ちになるし、

 

バナナを食べている時は

(今の私って完全に猿だよな。。。よりによって服まで黄色だし)

 

と余計なことを考えて、バナナの味を楽しめない。

 

そんな凹む話はおいといて、

 

 

母に「お姉ちゃんが下仁田ネギをもらってきたよ!甘くて美味しいのよねぇ。」

 

という話れてもピンとこなかった。

 

恥ずかしながら、私は下仁田ネギをという名前をその時初めて聞いたのだった。

 

下仁田ネギ=しもにたネギ

と読むらしい。

 

群馬県下仁田町の特産品で、ネギの品種ではかなり有名とのこと。

 

なるほど〜また一つ賢くなったわ〜と

呑気なことを思いながら眠りについた。

 

 

〜次の日〜

 

母が祖母と電話をしている声で目が覚めた。

 

電話が終わった頃に起きてくると

 

母「年末に祖父母の家ですき焼きをするから、あのネギを持っていこうと思うの!」

 

私「昨日の下仁田ネギ?」

 

母「そうそう!しもねたネギ!」

 

これはツッコまざるおえない。

 

たった一文字ではあるが、絶対に間違えちゃいけない一文字である。

 

嫌な予感はしていたが、予想通りの間違え方をしてきた。

 

私「下ネタネギじゃないって!!笑」

 

というと母はもじもじしながら

 

母「あら。。間違えちゃった」

 

テヘペロと言わんばかりにトイレに逃げていった。

 

 

〜祖父母の家に到着〜

 

母「義母さん!下仁田ネギ持ってきました!」

 

祖母「おお〜立派で美味しそうだね〜」

 

母「下ネタじゃなくて下仁田ですよ笑」

 

早速自分の失態をネタにする母は強い。

 

祖母「あっはっはっ!そりゃ間違えちゃいかんなぁ」

 

 

〜すき焼きの支度〜

 

母「じゃあ下ネタネギ切っときますね!」

 

祖母「ありがとう〜よろしくね〜」

 

私(え・・?今下ネタって言わなかった?)

 

と思いつつも祖母がスルーしたので、聞き間違いかだと思うことにした。

 

母「下ネタネギ入れちゃいますね〜」

 

祖母「下ネタネギ美味しそうだね〜」

 

私(この二人ヤバイ。)

 

さっきあれほど下ネタじゃないくて下仁田といっていたではないか。

さっきの二人は別人だったの?

 

そんなことが頭をよぎるが、目の前にいるのは数時間前に見たのと同じ本物である。

 

恐る恐る

「下ネタじゃなくて下仁田だよ?」

と呟いた。

 

台所が一瞬静寂になる。

 

「あっはっは!おかしい!!!」

 

と笑だす母と祖母。

 

血は繋がっていないが笑いのツボは同じらしい。

 

母「あらやだ〜また間違えちゃったじゃない!」

 

とあたかも私が間違えたかのような言いようである。

 

その日はおいしく下仁田ネギをいただいた。

 

人は言い間違いをする生き物である。

 

特に下仁田と下ネタはそっくりである。

 

うっかり癖のある人だったら間違えて当然だ。

 

でも「下ネタ」というのはたとえ言い間違いであっても

シラフの時に大声でいう言葉ではない。

 

特に義理の両親の実家だったら尚更である。

 

母は反省するべきである。

 

 

〜またその次の日〜

 

祖母「昨日の下ネタネギおいしかったね〜」

 

私(あちゃ〜また間違えてる。まぁいい歳だし仕方ないかぁ。。)

 

 

「下ネタネギ喜んでもらえてよかったです!」

 

 

母は反省していなかったようだ。